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目の高さ

 東京ディズニーランドが開園25周年を迎えたとかで、新聞などでいろいろと宣伝をしている。テーマパーク関連では一人勝ちの状況だそうだ。
 その理由もいろいろとあるようだが、その成功原因の一つとしてあげられるのが、そこの社員教育の徹底ぶりで、今ではディズニーアカデミーという名前で、一般企業の社内研修なども引き受けているという。
 そこで教えていることの中に礼儀正しさの要素として、挨拶、スマイル、言葉遣い、アイコンタクトの四つが重要な要素だとあった。アイコンタクトでは、子供の目の位置を知るために、自分が座った高さで立っている大人と会話をして、相手方に見下ろされる経験を得るそうだ。
 私の経験でも、犬と接触するときはしゃがんで、目の高さを犬の高さと同じにしないと、犬は警戒をする。子供とて同じことだろう。いや子供だけでなく、腰を下ろしている高齢者、身体に障害があって車椅子に座っている人も同じことになるはずである。
 人間はとかく自分が中心でものごとを考えやすい。まして座る暇もなく忙しい健常の人が無意識に立ったままでそうした人と接すると、意識しないうちに見下ろす、というより見くだすような形で接することが多くなってしまうのではないだろうか。もしそうだとすれば誠に残念なことで、自分が上だ、という意識で接するのは論外だが、社会奉仕などについても、いろいろな意味でやはり受ける側と同じ視線に立ってすることを考えることが必要ではないだろうか。
 人種、国家、貧富、地位、大人、子供を問わず人間は皆平等だという視線に立って、お互いが接するようになれば、自然に方法や感情も違ってくるのではないかと思ったのだが、あなたはどう思いますか。

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Comments

人間は本来平等であることを忘れずにいたいもの、そのためにはまずお互いの目の高さを同じにして接するよう心がけようではないか、というお話はさすが貴兄と感心しました。ただ現実はどうなるかというと、難しいですね。上の立場の人が辞を低くすると相手が困惑するのではないでしょうか。特に日本などでは。勿論あるテーマで議論をするときは対等であるべきで、愚息の関係でハーバード大学に寄った時、老教授と女子大生が一対一で議論をしている姿を見てその教授の腰に低さ、学生に対する対等な態度に感心したものです。これがアメリカの個人主義かと。この頃あまり聞かなくなりましたが年功序列といことも日本にはありますしね。ところでこの平等ということを、禅的には、平等即差別、差別即平等といいます。平等だけでも真実ではない、差別だけでも真実ではない、というのです。長くなりますから本日はこの辺で。放下著

Posted by: 放下著 | August 06, 2008 at 05:40 PM

放下著さん コメント有難うございました。年功序列という年功の内容ですが、今や言葉だけが、それも高齢者の多くの間にだけ生きているのではないでしょうか。「俺は年が上だから偉いのだ」ということが、加齢によるボケの人も主張します。尊敬しろと命令されてすることが尊敬ではない筈。一人でに頭が下がるような人にするのが尊敬ではないかと思います。そうでない年寄は、尊敬でなく労ることが大事ではないでしょうか。現実を容認するのはいいのですが、それがいいことだとはかぎらないし、人はどうであれ自分はそうしたくないと思うことが必要と思っています。

Posted by: 岳 洋 | August 10, 2008 at 10:54 AM

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